いただきます、ごちそうさま は中国語で言うな!中国人の前では言うな! ~中国語の「いただきます」と「ごちそうさま」~ ~日本人が「いただきます」と「ごちそうさま」を言う理由~

目次

結論(タイトルの理由)

「いただきます」、「ごちそうさま」を中国語で言ってはいけない理由、中国人の前で言ってはいけない理由、それは、

👉 中国では、「いただきます」や「ごちそうさま」を言う機会が、日本に比べ圧倒的に少ない!
   中国語には、日本語の「いただきます」や「ごちそうさま」に完全に一致する表現がそもそも存在しない!

からです。要するに、❝ 言ってはいけない❞ というより、

言う必要がない

のです。 不要な言葉は言わなくていいわけです。私たち日本人は、日本語の「いただきます」や「ごちそうさま」を ❝そのまま❞ 中国語に置き換えて、何て言うんだろうと調べたり、覚えたりしようとします。しかし、中国では日本に比べ、「いただきます」や「ごちそうさま」 という挨拶をする機会が圧倒的に少ないのです。だから、

言葉だけそのまま置き替えて、中国語を話してもこちらの言葉の意図は中国人に伝わりません。

ピントがズレた言葉になってしまいかねません。場にそぐわない言葉にも。

更に辞書を引けばわかると思いますが、「いただきます」や「ごちそうさま」に相当する中国語がそもそも存在しません。いや、存在はします。「圧倒的に少ない」ながらも使う機会があり、その際使う表現が実は中国語にはあります。

❝一応❞ 存在する、中国語の「いただきます」と「ごちそうさま」

👉 一応、「いただきます」や「ごちそうさま」にあたる中国語は存在する
(例:我吃了、我先吃了など)

いつ言うの?

後ほど詳しく解説します。必要な場面に応じて適切な言葉を使い、使う必要がなければ使いません。日本語の「いただきます」と「ごちそうさま」 は、ある意味 ❝万能❞ な言葉です。食前でさえあれば、普通どんな場合でも使えます。一方中国語では、基本的には食前食後に何も言わなかったり、言う場合でも、場面に応じて言葉の使い分けが必要です(どんな言葉があるのか、またそれぞれの言葉を使う場面については、後ほど紹介します)。

中国語に ❝一応❞ 存在する 「いただきます」と「ごちそうさま」は、日本語のそれらと、完全には意味合いが一致しません。だから、辞書などの説明にある 「 ❝いただきます❞ や ❝ごちそうさま❞ に相当する中国語はない」という記述も正しいですし、「いただきます」や「ごちそうさま」にあたる中国語が❝一応❞存在するのも正しい事実なのです。

なぜ同じ言葉、同じ表現と言えないのか

中国語の ❝一応❞ 「いただきます」や「ごちそうさま」にあたる表現は、日本語の「いただきます」や「ごちそうさま」 と比べて、その意味するところが違う為、完全には同じ言葉・同じ表現と言えません。両者は、言葉の由来・ルーツが違います。使う場面やタイミングが似ているので、一見同じ言葉・同じ表現のように見えますが、そうではありません。後ほど詳しく解説します。

もし、強引に言ったらどうなるか?

場面に応じて、使ったり使わなかったり、使う場合も適切に使い分けなければならない「 ❝一応❞、中国語の ❝いただきます❞ と ❝ごちそうさま❞ 」。(例: 我吃了、我先吃了など。)これらを日本人の私たちの感覚で、つまり私たちが単に「 ❝いただきます❞ と ❝ごちそうさま❞ を言いたいから」、「言わないと気持ち的に落ち着かないから」という理由で、普通中国人が何も言わずに食事を始める場面で、

多少無理して強引に使ったらどうなるか。

つまり、「ピントがズレた使い方」をしてしまったらどうなるか。

恐らく、中国人は、

「こいつは(この人は)何を言ってるんだろう」

と感じるでしょう。そのような反応を示すでしょう。あなたの発した言葉は彼らにとって

「よくわからない一言」

になる可能性があるのです。気に留められないか、独り言だろうと思われたり、先述のように何を言ってるんだろうと思われることもあります。

基本的には挨拶表現なので、間違えた使い方をしても、大した問題にはならないでしょう。また、「日本人は食前食後に ❝いただきます❞ 、❝ごちそうさま❞ を言う習慣がある」 ということを知っている中国人なら大丈夫だし、向こうが知らなくても、あなた自身が自分の発した言葉の意味を先方にちゃんと説明できれば問題ありません。気持ちとは言い方次第で相手に伝わるものですから、あなたが上手く相手に気持ちが伝わるような言い方をすれば、雰囲気からあなたの言葉の意味を察してくれたり、好意的に捉えてくれるケースもあるでしょう。

しかし、あなたがより高い中国語のレベル、クオリティを求められている場合には、食前食後のこの「挨拶問題」に興味があったり、また実際の経験から疑問をお持ちの問題であったりするかもしれません。ご自身の中国語のレベルがある程度上がってきたり、自分自身が体験したりすると、確かにこの問題は、日本人の私たちが必ずぶつかる壁や疑問の一つかもしれません。ある程度自分の意図や目的、気持ちを込めて発した言葉に、相手から期待する反応が得られなかったり、場の空気に違和感を感じたら、疑問や不安、辛い気持ち、迷いを感じ、自信を失う場合もあるでしょうから。

基本的には、私たちの普段の感覚や習慣で、「いただきます」や「ごちそうさま」を言っても、まず

中国人にはその意図や目的が伝わらない

ということを頭に置いておいてください。

どうすれば良いのか

では、心理的に「いただきます」や「ごちそうさま」を言いたい場面が多い私たち日本人は、食前食後にどうすれば良いのでしょうか。

◆ 相手の中国人がある程度、自分と親しい関係の場合 (場所は問わず。一般家庭でも、レストランなど外食でも)

👉 何も言わなくて良い(黙って食べ始めれば良い)

(※何らかの会話をしていれば尚良い。気の利いた会話ができれば更に良い)

また、食べ始めるタイミングについては、

👉 中国人に「食べろ」「食べよう」と言われたら食べる
たとえ自分1人が先に食べ始めるようなことになっても、気にせず食べ始める
気になるなら「先に食べます」(※後で紹介)など一言添える

または

👉(料理する人以外に一緒に食べる中国人<友人など>がいれば)
その中国人と一緒に食べ始めれば良い。 その中国人の真似をして挨拶なしで食べ始めれば良い

のです。 日本では、親しい間柄だろうと、家族だろうと、「いただきます」や「ごちそうさま」を言うのは自然です。また食事も基本的には皆が揃ってから食べ始めます。「親しき仲にも礼儀あり」の精神です。しかし、これらは

中国人にとっては、変です。

中国人にとっては、「親しい間柄こそ遠慮抜き」の精神です。人によって、また関係によって、「挨拶なんかしないで」「中国人は間柄が親しい場合は挨拶しないよ(頼むからしないでくれ)」とたしなめられてしまいます。更に、この

関係が自分と「親しい」または「親しくない」の感覚も中国と日本では異なる

ので注意が必要です。後ほど詳しく解説します。

◆ 相手の中国人に自分が「客人」扱いされる場合 (場所は問わず。一般家庭でも、レストランなど外食でも)

👉(中国語で言えそうなら)料理を作ってくれた人、家の人にお礼を

👉 他の人たちと一緒に食事をとり始め、食事前には御礼や気配りの一言伝えるのが良い

後ほど詳しく解説します。

解説

なぜ中国語には「いただきます」「ごちそうさま」に完全に一致する表現がないのか、なぜ日本語と中国語で違うのか?

我々日本人からすると、 「いただきます」と「ごちそうさま」に完全に一致する表現が無い中国、それらを言わない中国人の習慣は、不思議に思うし、慣れません。また 「いただきます」と「ごちそうさま」に完全に一致する中国語や、それを言う習慣が中国にあればずっと楽なのに、と思います。

日本語の「いただきます」と「ごちそうさま」は、食前食後であれば、ほとんどあらゆるシーンで使える「万能」な挨拶表現です。それに対して中国語の ❝一応❞ の「いただきます」と「ごちそうさま」(後ほど紹介)は、使う機会が少なく、使う場合も使い分けが必要でその点不便です。 両国の言葉が「なぜ一致しないのか」というより、

なぜ中国語に 「いただきます」や「ごちそうさま」 のような便利な言葉、また言う習慣がないのか

と私たち日本人は考えてしまいます。そしてその答えは、実は、

「いただきます」や「ごちそうさま」という日本語が世界的には変わっているから

なのです。

中国語だけでなく、英語やフランス語にも日本語の「いただきます」や「ごちそうさま」に完全に合致する言葉・言い方がありません。食前食後の挨拶言葉や挨拶習慣は、国や言語、民族によって持っているものがたくさんありますが、日本語の「いただきます」や「ごちそうさま」のような挨拶・表現は、変わっていて、中国にそのような言葉がないのは普通なのです。

なぜ日本語には、 「いただきます」や「ごちそうさま」 のような変わった言葉やそれを言う習慣があるのか?

それには、日本人の信仰心や宗教的ルーツを辿る必要があります。「いただきます」や「ごちそうさま」という言葉は、元々神道や日本人の「信仰心」から生まれたものなのです。

例えば、「いただきます」なら、天からの恵み、天や大自然から頂く❝いのち❞を自分が頂戴する、天や大自然、食べ物に感謝する、これが「いただきます」という言葉の由来です。それらが転じて、現在は料理を作ってくれた人への感謝を伝える言葉、「これから食事を始めます(これで食事を終わります)」ということを人に伝える挨拶、食事の前後にこれらの言葉を唱えること自体が、マナー・礼儀になっていたりしますが、元々は神道、信仰から来ているのです。意識しようがしまいが、 「いただきます」 という言葉にはこれらの意味が含まれ、そしてそれを長い時間が経過しても抵抗感なくすんなりと受け入れて生涯日常で繰り返し使い続ける私たちは、やはり意識の ❝根っこ❞ に今もそういった深い信仰心や信心があるのかもしれません。「いただきます」や「ごちそうさま」を食事の前後に言わないと心理的に落ち着かないということはあっても、この言葉に違和感を感じたり、変えようと言う声が起こったり、代わりの言葉が生まれて広がったり、長く時代を経てもしないのですから。「ありがとう」などと同様、素晴らしい言葉です。さて、話を戻しますが、そのようなわけで、

宗教的信仰心がルーツであるからには、他の国でその習慣がないのはごく自然

なことで、日本人が 「いただきます」「ごちそうさま」 を言っている様子を見て、外国人が 「何の為の言葉・挨拶か?」「目的は?」 と不思議に、或いは怪訝に感じてもおかしくない訳です。ちなみに、アメリカでもクリスチャン(キリスト教徒)には、「食前の祈り」をする習慣があります。アメリカ以外の国々、例えば中国でも日本でも(中国人でも日本人でも)、クリスチャンなら「食前の祈り」は行います。

(※ 日本語の「いただきます」「ごちそうさま」という言葉についての由来やルーツについて、補足的な解説、より詳しい解説が後半にありますので、よろしければご覧ください。)  

〈詳しい解説〉 「いただきます」や「ごちそうさま」を言う代わりに、私たち日本人は中国人の家で、また中国人との食事でどうすれば良いのか

◆ 相手の中国人がある程度、自分と親しい関係の場合 (場所は問わず。一般家庭でも、レストランなど外食でも)
~中国の一般家庭の食事風景 ①~

まずは、先程の確認から。

  • 何も言わなくて良い(黙って食べ始めれば良い)
  • 中国人に「食べろ」「食べよう」と言われたら食べる。たとえ自分1人が先に食べ始めるようなことになっても、気にせず食べ始める。気になるなら「先に食べます」など一言添える。
  • (料理する人以外に一緒に食べる中国人<友人など>がいれば)その中国人と一緒に食べ始めれば良い。 その中国人の真似をして挨拶なしで食べ始めれば良い。

詳しく解説します。一般的に、

中国の一般家庭では、「みんなで一緒に食事を始める、食べ始める」という習慣がありません。

一緒に食事はしますが、食事の始め方が日本人と少し違います。日本のように「揃って食べ始める」とか「(一緒に食事する人によって)誰かが席につくまで待つ」とかがないので、「自分が先に食べ始めたら失礼」という意識がほとんどありません。

日本人も今はだいぶ自由な家庭が多くなってきていますが、中国では、家族間に限らず、親戚や近所の人、友人などが遊びに来ても、多くの場合そうなのです。中国人は、一昔前の日本のように、親戚は家族同然、近所づきあいや人付き合いが盛んで、1日中家に人の往来が絶えなかったりします。例えば、その家の子供が学校の友達を家に連れてきた時も、更には成人して同じ会社の同僚を家に連れてきた場合も、両親が家で食事を出すとします(日常的によくある光景です)。その時の食事風景も同じようになります。

中国の食卓では、全員揃ったところで「いただきます」とみんなで言うとか日本のような光景は見られません。全員そろって食事を始めるということすらしない場合も多く、誰も「いただきます」と言いません。

何となくダラダラと、適当に、自由に、臨機応変に、食事が始まります。

その間ずっと他愛もない話を続けたり、テレビをつけたままにしながら、食事の部屋に入ってきた順、席についた順、麺類やごはんなど個々に盛る料理を更に盛った順に食べ始めたりします。目の前に盛りつけられた料理やごはんがあるのに(準備も全て終わっているのに)、箸に手をつけずに、みんなが揃うまで待つとか、誰かが席につくまで待つとか、「先に食べて」と言われているのにマナー・礼儀として食べ始めずに待つとか、そういう意識や習慣がありません。日本でも家庭ではそういう光景はほとんどなくなりつつあると思いますが、中国では家族以外の比較的広い範囲の関係の人たちが、同じようにふるまいます。日本では家族(一緒に住む固定メンバー)とそれ以外の人との間には大きな違いがありますが、中国では、日本に比べてその境界線がかなり外側にあります。近所の仲良いおばちゃんが、今日は我が物顔で家に来て、今日は流れで食事を家の人より先に出されて食べている、なんてこともあり得ます(状況によりますが)。細かいことは気にせず、常にワイワイガヤガヤと、日本人よりは外側の境界線、広い範囲の関係の人たちと「人民みな兄弟、家族」のような感じで、日本人よりも自由な意識と形式で食事します。

中国の日常的な食卓は、比較的おおらかでラフなのです。

さて、あなたが、中国人と食事をする際、どのようにすれば良いかですが、これは、まずその家の人とどのような ❝关系❞ (関係、つながり)なのかに気を付ける必要があります。

外食の場合は、料理を作るのは店側ですし、食事はだいたい一緒に始まりますから、特に注意すべきことはないでしょう。普通の日本人の感覚で、また「いただきます」の挨拶はしませんが、相手に合わせて食事を始めれば特に困ること、迷うことはないでしょう。

問題は、中国人の家に招かれたときです。既にその家の人(全員でなくて良い)と親しければ、あなたは特に「いただきます」とか言わなくても食事を始めて大丈夫です。何も言わずに食べ始めるのがもしどうしても慣れなかったら、料理を褒めたり、何らかの軽いコミュニケーションをすれば、断ってから食事を始めるのと同じになりますので、可能であれば、軽い自然な会話をしてみましょう。お礼を伝えるのももちろんありです。

家の他の人全員が食事の席に着くのを待つことなく食べ始めても大丈夫です。その場合、最低限家の人から「食べろ 」「さ、食べて」(吃吧、咱们吃吧など)と言われてから食べ始めるべきですが、言われた後も他の人が揃うのをずっと待つ必要はありません。言われる前に食べ始めたらさすがに失礼ですが、一度「食べろ」と言われたら食べ始めてOKです。家の人全員と親しくなくても、自分がその家の誰か1人の友人・知人であれば、中国では家に招かれ、食事を振舞ってもらえる機会も多いです。その際、初対面であるその家の人たちと一緒に食事をすることになるケースもありますが、気にせず「食べろ」と言われたら食べ始め、料理を作ってくれた人、「食べろ」と言ってくれた人に「いただきます」とか御礼が言えれば、当然好ましいですし、失礼もありませんが、言えなければ言えないでも大丈夫でしょう(向こうもあなたが外国人であることを分かっているわけですし、日本人ほどその点厳しくありません)。家の食卓で食事の時に初対面、なんてことは中国ではざらなのです。中国人はそれでいちいち不快感や嫌悪感を感じたりしません(よっぽど感じや性格の悪い相手なら別ですが)。「兄の知り合いが来てるんだろ」「父の友人だろ」という感じで、軽くあいさつし、一緒に食事します。会話は ❝流れ❞ でしたりしなかったり。お互い特に気にしません。

日本人の私たちには、なかなかこの状況が慣れないと思いますが、わからなかったり戸惑う場合には、目の前で一緒に食事をしている自分の友人或いは知人の中国人の真似をして、同じようにしていれば大丈夫です(その人が料理を作って台所にいたら少し難しいでしょうが)。あなたが客と言う立場、その家の家族でないからと言って、守らなければいけないルールやマナーは特にありません。目の前の友人と同じように「いただきます」なしで食べ始め、一度「食べろ」「食べよう」と言われたら、たとえ自分一人、その家の人たちより先に食べ始めることになっても気にする必要はありません。

◆ 相手の中国人に自分が「客人」扱いされる場合 (場所は問わず。一般家庭でも、レストランなど外食でも)
~中国の一般家庭の食事風景 ②~

学校など教育機関では声を揃えて「いただきます」「ごちそうさま」を言ったり、実社会では、上下関係が厳しく残り、立場が上の相手より自分が「先に箸をつけてはいけない」などの意識、マナーが根強く残る日本。

先程触れた中国人の ❝関係、つながり❞(关系)が日本人の私たちにとって理解しづらいところで、日本人の私たちが「まだそれほど親しい関係ではないだろう/言えないだろう」、「親しき中にも礼儀あり」と思うような間柄でも、中国人にとっては「親しい間柄」、「兄弟・家族の間柄」と言います。私たち日本人のペースより、中国人は遥かに「速い」ペースで、親しくなり、兄弟になり、家族になります。

中国人には「親しい関係ほど遠慮は禁物」という考え方があります。遠慮を美徳、親しき中にも礼儀ありの日本人と違い、中国人は「何遠慮してんだ」「遠慮なんかするな」とどんどん言ってきます。私たち日本人が ❝親しい間柄でも「いただきます」や「ごちそうさま」は言うべきだ❞ と考えて、言い続けていると、中国人から「何遠慮してんだ」「遠慮なんかするな」予想以上に早く言われたりします(言われたらその後もう言う必要はありません。中国では、遠慮し過ぎ、つまり礼儀を守り過ぎることは逆に失礼になる場合が多いです)。

記述の通り、中国では、すぐに親しくなり、知り合って間もないのに、家に招かれて食事を出されることもあります。一度仲良くなると、このようなことは日常茶飯事です。中国人同士だけでなく、あなたが日本人であっても、そうする中国人がほとんどです。家に招かれた段階で、もう「客人」ではなく、「友人」であり、「親しい関係」です(たとえそれが知り合った当日でも)。なので「遠慮しない」「遠慮し合わない」関係を中国人から、或いはその家の人たちから求められます。

あなたが、中国人の家で食事をする機会があったら、それはほとんどが「親しい関係、親しい間柄」でその家に迎えられると思いますので、「いただきます」と「ごちそうさま」の挨拶を含む食事前後の注意点は、「 ◆ 相手の中国人がある程度、自分と親しい関係の場合 ~中国の一般家庭の食事風景 ①~ 」を参考にしてください。

相手の中国人に自分が「客人」扱いされる場合

中国でも家に招き、食事を振舞う時、相手との一線を引き、結構しっかりとした「客人」扱いをするケースがあります。自分の上司などです。上司と言っても先輩だの、役職が1つ、2つ上の人だのではありません。日本ほど上下関係の意識がない中国では、年齢や入社が数年程度の違いなら同僚、同じ仲間です(10歳ぐらいの年の差は「同年代」という意識があります)。社長や会社の幹部(❝老板❞、❝领导❞)などです。中小企業が多く、仕事の関係者を家に招いて一緒に食事をする機会が多い中国(地方や農村ほど、これらの傾向が強い)、社長や会社の幹部を家に招いて家族と共に食事をすることも多いのです。

中国では「長幼の順序」(❝ 辈分 ❞)が重視されます。親の世代が1代上、祖父母の世代は2代上。この大きなくくりでの上下関係は厳しいのです。この1代上、2代上の人が家に来ると、それが仕事上の関係者であれ、親戚や知人であれ、やはり「客人」扱いします。仕事の関係者が家に来た時と親戚や知人が来た時の接客の様子を一様に考えることはできませんが、それでもこの時が中国人にとっての本当の「客人」を迎える時で、日本人が客を家に迎える時と近いものがあります。

「客人」に対しては、一家全員でもてなします。子供も食事に同席します。お酒も用意します。日本ほど「儀礼的」でないとはいえ、揃って食事を始めますし、「いただきます」は言わなくても、その代わりとなるコミュニケーションを取ります。「客」が料理を褒めたり、最近の様子を話して家の奥さんとコミュニケーションを取ったり、子供たちと会話をしたりします。家の人が「何もありませんがどうぞ」とか気の利いた言葉をかけたり、「客人」も何らかの話題を持ちかけたりして互いに場の雰囲気が盛り上げる会話をします。「客」のグラスの酒が切れないよう夫婦で酒を注いだり、飲むよう勧めたり、料理を勧めたり、乾杯を繰り返したり(中国の習慣)します(酒を勧めて飲ませるのは、客人もてなしの重要なアクション)。

もしあなたが、もし招かれ食事を振舞われる中国人の家で「客人」扱いされる立場だとすれば、それは、あなたが経営者や雇い主のような「ボス」に近い存在か、相手の中国人が「1つ役職や年齢が上、入社年が早ければ厳しい上下関係があることが多い」日本の文化や習慣に理解があるか、あなたが相手の中国人よりも1世代も2世代も年上か、或いは相手の中国人にとって大事な恩人やその関係者である場合などです。

その場合は、先程の「社長や会社の幹部(❝老板❞、❝领导❞)」の例のような「客人」に対するもてなし・接待をその家から受ける可能性があります。ラフでおおらか、ざっくばらんな食事の始まり方でなく、ある程度きちっとした形でもてなされ、食事が始まるはずです。日本の「客人に対するもてなし」とは勝手が違うでしょうが、家の人たちと一緒に食事をとり始め、食事前には御礼や気配りを一言伝えるのが良いでしょう。場の流れや雰囲気に合わせれば難しいことはないでしょう。ただ、「いただきます」も言いませんし、家の人も挨拶など何もあなたに求めず、食事は自然に始まるでしょうから、何も言わずに自分も食べ始めるのでなく、一言簡単なお礼だけでも伝えると良いでしょう。

以下は、先述の「客人扱い」の場合の食事の始まりの時のポイントの確認です。

  • (中国語で言えそうなら)料理を作ってくれた人、家の人にお礼を。
  • 他の人たちと一緒に食事をとり始め、食事前には御礼や気配りの一言伝えるのが良い。

「いただきます」の中国語
(❝一応❞ 「いただきます」という意味の中国語)
とそれぞれの使う場面

色々な表現がありますが、覚える必要は全くありません。ここで紹介する他にも、まだまだたくさんの表現が中国語にはあります。ここで紹介する表現も、それ以外の表現も聞いたときに意味が分かれば十分です。つけ加えれば、自分が言う時の為に、どれか1つを覚えておいても良いでしょう。でも、それ以上学ぶ必要は全くありません。

いざとなったら、

❝ 谢谢,〇〇!❞ で十分
 ( 〇〇 = 人の名前や「你」、「您」、「叔叔」、「阿姨」など)

です。これを「いただきます」の代わりに言えば十分です。場面ごとに、「どの言い方が一番適切だろうか」と下手に頭で考えすぎて、会話の流れやタイミング、「間」を逃すよりも、お礼の一言だけで良いです。会話は流れやタイミング、「間」やノリが、適切な言葉のチョイスと同様に大事ですので、あまり言葉や表現に意識を向けすぎると、良いコミュニケーションにならない可能性があります。

お礼の一言に加えて、料理を作ってくれた人の名前(或いは ❝ 你 ❞ などの代名詞)、食事をご馳走してくれた家の中心になる人の名前を、❝ 谢谢 ❞ の後ろに付け加えればそれで大丈夫です。

これ以降紹介する表現は、「参考」までにご覧ください。

Wǒ chī le
我吃了。 食べます。

2人の時や少人数の時に、或いは個人的に使ったりします。例えば、「(あなたが手にしてるその食べ物を)私、もらうね。いっただきまーす♪」(サンキュー/失礼の代わり)」、「(みんなで分け合いながら食べてきて、残りは1つ。誰がそれを食べるかわからない状況で)いっただきまーす」のような場面などで、この ❝ 我吃了。❞ を使えます。何も言わないと不自然な場面や独り言などいろいろな場面で、「自分が食べる」という意味を口にしたり、人に伝えたりすることができる表現です。

Wǒ xiān chī le
我先吃了。 先に食べます。

台所でまだ料理・作業をしているその家の人(お母さんなど)に、「私は先に食事をいただきます」ということを伝える表現。意味は、文字通り「私は先に食べます」であり、あくまで食べる順序を表す表現ですが、これを一言言うことで、料理をしてくれた人やまだ食べていない人たちへの配慮や気遣い、礼儀やマナーとなります。

但し、料理した人が同じテーブルについて、これから一緒に食事を始めようとしている時に、この表現を言うとおかしい場合が多いので要注意です。「私も一緒に食べるよ」と笑われかねません(笑)。この表現はあくまで、順番的なところの意味しか表すことができません。「あなたが料理を作ってくださったのに、先に私が食べ始めてすみません。」という意味では使えますが、「いただきます」の代わりには決してなりません。ここで紹介する表現は、全て同様です。日本語の「いただきます」と同じようには必ずしも使えませんので、その点改めてご注意ください。。

Wǒ kāidòng le / Wǒ yào kāidòng le
我开动了。/ 我要开动了。  食事を始めます

Wǒ kāi fàn le / Wǒ yào kāi fàn le
我开饭了。/ 我要开饭了。  食事を始めます 。

上記2表現(4表現)は、日本の映画、ドラマ、漫画、アニメなどで日本人の「いただきます」と言うセリフの中国語訳(字幕)にされることが多い表現(または全編中国語版にされた場合、多い訳)です。「いただきます」に込められた本当の意味は、普通は外国人は知る由もありません(知ったところで訳しづらい表現でもあります)から、このような中国語訳になるのかもしれません。

Nà wǒ jiù bú kèqi le
那我就不客气了。 では、遠慮なく。

料理を作ってくれた人や家の人に、食べるよう勧められたり、食べなさいと言われた場合に。

Chī ba / Wǒmen chī ba / Chī chī chī
吃吧。/我们吃吧。/ 吃吃吃
 食べましょう。

Kāishǐ chī ba / Wǒmen kāishǐ chī ba
开始吃吧。/ 那我们开始吃吧。 (では)食べ始めましょう。

Dàjiā chī baDàjiā chī fàn
大家吃吧。大家吃饭。 みんな(みなさん)、食べよう(食べましょう)。

上記3種類、計6つは、自分以外の人に「食べましょう」と呼び掛ける表現です。6つの表現の中で、❝ 吃吧。❞、❝ 开始吃吧。❞、❝ 大家吃吧 。❞、は、自分を含める言い方としても、自分以外の人に対する言い方(=「食べて」「食べなさい」など)としても、どちらでも使えます。

Hǎo yòu rén a
好诱人啊! おいしそう!

「诱」は「誘う」という意味で、「诱人」は「人を引き付ける、魅力的な」という意味。それを「好」で程度の強さや感嘆を示し、全体で「なんと(食欲をそそるような)とてもおいしそう(な料理)!」という意味です。見た目の良さ、匂いの良さ、どちらにでも使える表現です。

(Ń/Ńg) Hǎo xiāng a
(嗯,) 好香啊! おいしそうな匂い!

「香」は「(味が)おいしい」という意味も持つ注意すべき語ですが、ここでは、「(いい匂いがして)美味しそう」という匂いの良さについて述べた語です(👆注意:見た目の良さから感じる「おいしそう」という表現には使えません)。

上記2つの表現は、どちらも食べる前に言う、相手を喜ばせる言い方です。「いただきます」とは、いよいよ関係ない表現ですが、こうした気の利いた表現も「いただきます」の代わりとして食事前に使うのも、相手への配慮になるという点で良いでしょう。

また以下は、参考までに、食事を作ってくれた人が言う言葉です。「できましたよ」、「(ごはんの準備ができたので)食べましょう」と食堂、食事の席に皆を呼ぶ言い方、目の前にいる人に「さ、ごはんにしよう、食べた、食べた」「ごはんできてるよ」「ごはんできたよ」などで使える言い方です。

  • Kāi fàn le
    开饭了! ごはんですよ!、食べましょう!、飯だ、飯!など
            ※皆で一斉に食事を始めるというイメージ
             (开饭 : 食事にする、食事を出す)
  • Fàn hǎo le
    饭好了! ごはんですよ!、ごはんの準備(料理)できたよ。
  • Chī fàn le
    吃饭了! ごはんですよ!、食事にしよう。
  • Dàjiā chī fàn
    大家吃饭。 みんなごはんですよ。みんな食べましょう。

「ごちそうさま」の中国語
(❝一応❞ 「ごちそうさま」という意味の中国語)
とそれぞれの使う場面

「いただきます」同様、「ごちそうさま」も完全に合致する言葉が中国語にはありません。その上で、食事が終わった時に、必要な場面に応じて、言う言葉(使える言葉)が幾つかありますので、それを紹介したいと思います。これらも、必要に応じて適切な表現を言い(使い)、必要がなければ言いません(使いません)。とは言うものの冒頭で述べたように、覚える必要は全くありません。以下に幾つかの言い方を紹介し、また説明も付していますが、これ以外にも表現はたくさんありますし、理解して覚える必要はありません。いざとなったら、

❝ 谢谢,〇〇!❞ と言えば十分
 (〇〇=人の名前や「你」、「您」、「叔叔」、「阿姨」など)

❝ 谢谢,很好吃!❞ 【 Xièxiè hěn hǎochī ありがとうございます。おいしかったです。】でも良いですね。

それで、礼を失することはありませんから、「ごちそうさま」代わりの言葉として十分です。

それでは、以下、参考までにご紹介します。

どの表現も ❝ 已经 ❞ 【 yǐjīng;もう、すでに】をつけて構いません。

つける位置は、動詞の前が一般的です。 例)我吃好了 。→ 我已经吃好了。

Chīhǎo le / Wǒ chīhǎo le / Wǒmen chīhǎo le
吃好了。/ 我吃好了。/ 我们吃好了。
 
食べ終わりました。いただきました。

❝ 好 ❞ という字が持つニュアンスから、❝ 吃好 ❞ は「きちんと食べた」とか「食べる行為が完了・完成した」という意味合いを持ちます。3つの表現に違いはありません。主語の❝ 我 ❞ と ❝ 我们 ❞ の区別だけ気を付ければ好きなのを使えばOKです(これ以降紹介する表現も同様)。

中国では「客人をお腹いっぱいにさせるだけの料理を出す」ことや、「客人がお腹いっぱいになる」ことを重視する文化があるので、家庭でも外食でも食べきれないほどのたくさんの種類の料理(或いは多めの量・ボリューム)が出されることが多いのです。そこで、客人は自分がもう十分に食べた。もう要らない、食べられない。自分の食事は終了した、ということを料理を作ってくれる人や家の人、外食に招待してくれた人に伝えます。その役目を果たすのがこの表現です。先述の ❝ 谢谢,〇〇!❞ にこの一言を加えれば完璧です。(※ここで言う「客人」は、このページの別の場所で述べた社長や1世代・2世代年齢が上の「客人」ではありません。家族やごく親しい関係の深い人を含めた「料理を出される側、作ってもらう側」という意味です)。

Chīwán le / Wǒ chīwán le / Wǒmen chīwán le
吃完了。/ 我吃完了。/ 我们吃完了。 食べ終わりました。

❝ 完 ❞ という字が持つニュアンスから、❝ 吃完 ❞ は「食事が済む」、「食事を済ませる」、「食事を終える、食べ終える」、「食事してしまう、食べてしまう」、「食べきる」などの意味合いを持ちます。❝ 吃好了 ❞ と意味や使い方はほとんど変わりません。好きな方を使って、自分が食事を終えたことを伝えましょう。

Chībǎo le / Wǒ chībǎo le / Wǒmen chībǎo le 
吃饱了。/ 我吃饱了。/ 我们吃饱了。 

お腹いっぱいです。十分いただきました。

❝ 吃饱 ❞ は「満腹」、「腹いっぱい」の意味。 ❝ 吃好了 ❞ や ❝ 吃好了 ❞ の代わりに、この表現を使って、「食事の終了」や「もう食べられない」ことを伝えてもOK。お好みでどうぞ。

Chībǎo hēzú le / Jiǔ zú fàn bǎo le
吃饱喝足了。/ 酒足饭饱了。 十分頂戴しました。

左右どちらも「飲み物、食べ物どちらも十分にいただきました。もういっぱいです」の意味ですが、右側は直接「酒」という言葉が入るので、お酒が入った時に限られる表現です。これまでの表現の別バージョンとして知っておくのも良いでしょう。

Zài yě chībuliǎo / Zài yě chībuxià le / Zài yě chībuxiàqù le
再也吃不了。/ 再也吃不下了。/ 再也吃不下去了。
もうこれ以上食べられません。もうお腹いっぱいで頂けません。

3つの表現に違いはありません。これまでの表現とは違い、上記3つの表現に ❝ 已经 ❞ 【 yǐjīng;もう、すでに】 は付けられません。

Xièxiè nǐ〔nín〕de kuǎndài   Duōxiè kuǎndài  Duōxiè 〔nǐ/nín de〕kuǎndài
谢谢你〔您〕的款待!/ 多谢款待! / 多谢〔你/您的〕款待!  
ごちそうになりましてありがとうございます。

おもてなし、ありがとうございます。

❝ 款待 ❞ は「歓待(かんたい)、おもてなし」などと訳します。

Tāorǎotāorǎo     Tāorǎode hěn
叨扰叨扰!/ 叨扰得很!
大変ごちそうさまでした。お邪魔しました。

「ごちそうさまでした」という訳ではありますが、❝ 叨扰 ❞ は「お邪魔しました」「おもてなしありがとうございました」という意味も持つので、食事が終わって帰る際、「食事を含めたその日全体のもてなしや接待、お邪魔したこと」に対する全体的なお礼のあいさつとしてよく使われます。もちろんその挨拶が食後に行われるなら、「ごちそうさまでした」という訳がピッタリになるでしょう。また、 ❝ 叨扰 ❞ は「あらたまった」言い方でもあります。しっかりとした表現なので、自分の両親ぐらい年の離れた1世代以上上の相手には、長幼の順序を重視する中国では、きちっとした挨拶になるので良いでしょう。年齢に関係なく、自分の勤め先の社長や幹部(❝ 老板 ❞【lǎobǎn】、❝ 领导 ❞【lǐngdǎo】)、年の離れた上司、取引先などに対しても良いでしょう。一方で、硬い言い方でもあります。中国語で ❝ 客套 ❞ とか ❝ 客套话 ❞ と言いますが、日本人がその相手を大事に感じ、誠意を示したい場合、より丁寧な言葉や態度を選択するので、この表現のように、「堅苦しい」言葉を使ってしまいそうになりますが、中国人の場合、その相手が大事に感じ、誠意を示したい場合、「互いに遠慮しないこと」が大事になり、丁寧な言葉や態度よりも、お互いの親密さ、熱さのある言葉や態度を選択するので、相手の年齢に問題がなければ、この表現のような硬い言葉、丁寧な言葉は、相手との距離を作ってしまうことにもなりかねないので注意が必要です(言い方、伝え方を工夫すれば、要するに想いが伝われば、言葉のチョイスは関係ないことは言うまでもありませんが)。

〈補足解説〉日本人が「いただきます、ごちそうさま」を言う理由

なぜ、中国語の「いただきます」と「ごちそうさま」は、日本語の「いただきます」と「ごちそうさま」と完全には一致しないのか。

それを理解するためには、日本語のこれらの挨拶の ❝本当の意味❞、❝由来❞についての理解が必要になります。

「いただきます」と「ごちそうさま」、この2つの言葉は、元々神道や日本人の「信仰心」に由来することは先述の通りです。ここでは、それをもう少し深堀りして解説します。

2つの言葉に込められていることは、「食べ物から地球の恵み、自然の恵み(『命』)」をいただくことへの感謝の想いです。大自然の恵み(動物、植物)だけでなく、食材を育てる人・生産する人、加工する人、輸送・配送する人、そして愛情を込めて料理してくれる人、食事に関わる全ての人への感謝の気持ちがこめられた言葉なのです。

「いただきます」を食前に唱えることで、『命』をいただくだけの資格があるのか、自らをいましめる意味が含まれています。

「ごちそうさま」を食後に唱えることで、食材を育てる人、運ぶ人、料理する人など多くの人々の真心に対するねぎらいの意味が含まれています。 「ごちそうさま」の「ちそう(馳走)」は、本来お客さんのために命がけで四里四方を走り回り、食材を集め、お客さんの目の前に料理が出されていることを意味します。

江戸時代前期の国学者・本居宣長は、この食べ物への感謝の思いを2首の和歌で表現しています(昔の日本人は食前食後に唱えたそうです)。

たなつもの 百の木草も 天照す 日の大神の 恵えてこそ
(たなつもの もものきぐさも あまてらす ひのおおかみの めぐみえてこそ)

  • たなつもの : 棚に盛った食べ物、たね(田根=種)持つ物(=五穀)
  • 百の木草 : いろいろな生き物
  • 天照す 日の大神 : 太陽(=天照大神)

太陽(天)と大自然の恵みがあってこそ、毎日の食事が食べられる。ありがたいことだ。天照大神は日本の古代からのありがたさの表れだ。

朝宵に もの食うごとに 豊受けの 神の恵みを 思え世の人
(あさよいに ものくうごとに とようけの かみのめぐみを おもえよのひと)

  • 豊受けの 神 : 豊受大神(とようけのおおかみ)。食事を司る神。

朝晩の食事のたびに、神の恵みを思おう、人間の力だけで、食べ物はできないのだ。(※江戸時代中期まで1日2食が一般的でした。)

豊受大神(とようけのおおかみ)は、天照大神の食事の神として伊勢神宮の外宮(げくう)に迎えられた神で、伊勢神宮・外宮の御饌殿(みけでん)では、毎日、朝夕の2度、天照大神にお食事をお供えし、祈りと感謝をささげる「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)」が、外宮鎮座から1,500年間、休むことなく続いています。

日本人の意識の奥深くに根付く、この神道や信仰心がベースとなっている「いただきます」と「ごちそうさま」。私たちはこの言葉を食前食後に唱えることで、意識せずとも天や大自然、食事に携わる人たち、料理してくれた人たちへの感謝の念を捧げているのです。
中国語や英語に一致する表現が無いのも、ある意味当然と言えますね。

まとめ

  • 中国では、「いただきます」や「ごちそうさま」を言う機会が、日本に比べ圧倒的に少ない!
  • 中国語には、日本語の「いただきます」や「ごちそうさま」に完全に一致する表現がそもそも存在しない!
  • 「いただきます」や「ごちそうさま」の中国語は言う必要がないので、覚えなくてよい。
  • もし、中国人に日本語の感覚で「いただきます」や「ごちそうさま」と言っても、その正確な意図や目的は伝わらない。
  • 初対面の中国人の家や関係の浅い中国人の家で食事をする時は、失礼のないよう食べ始める。
  • 友人となった中国人の家、関係の深くなった中国人の家で食事をする時は、何も言わずに食べ始めても失礼にあたらない。
  • 中国人の「友人になる」、「関係が深くなる」は、日本人の感覚と違って速い。ただ、「(大きなくくりでの)世代」間の「長幼の順序」は中国人が重視する。
  • 中国語にも一応「いただきます」と「ごちそうさま」にあたる語があり、礼儀・マナーを守るのに役立つ。初対面の中国人の家や関係の浅い中国人の家で食事をする時にこれらを使っても良い(それらを使わなくても❝谢谢、〇〇〈人の名前〉!で十分)し、使えばそれで用は足りる(相手への失礼は避けられる)が、日本語の「いただきます」や「ごちそうさま」の意味合いとは完全には一致しない。
  • 日本語の「いただきます」と「ごちそうさま」は、宗教(神道)と信仰心がルーツ。