日本では時代劇ややくざものの映画、本などを見ていると、本当の兄弟ではないのに、「兄弟になる」とか「義兄弟になる」というセリフやシーンが出てきたりします。赤の他人に対して、「某(それがし)の兄貴になってくだされ」と言ったり、「盃(さかづき)を交わして、義理の兄弟になる」と言ったり。
中国にも同じような文化があり、中国語で「结拜」【jiébài】(ジエバイ、(義)兄弟の契りを結ぶ、の意)などと言います。このページでは、中国人の「(義)兄弟」の関係、「(義)兄弟の契り(ちぎり)」について、紹介したいと思います。
目次
【定義】「義兄弟(義理の兄弟)」とは
はじめに念の為、「義兄弟」または「義理の兄弟」という言葉に、本来2つの意味があることを説明したいと思います。興味がない方は、この章は飛ばして次の章へお進みください。(←文字の上をクリックすると次の章へジャンプします)
「義兄弟」または「義理の兄弟」 ― 1つ目の意味
意味の1つ目は、いたって普通の意味、普通の使われ方としての「義理の兄弟」です。例えば、
- 自分の配偶者の兄弟姉妹(=妻や夫の兄弟姉妹)
- 異父母の兄弟
などです。「義兄」や「義弟」、「義姉」や「義妹」などと呼んだりします。結婚した妻(または夫)の兄弟姉妹は、「義理の兄弟姉妹」ですね。結婚するまでは、赤の他人だったのが、結婚を機に「義理の兄弟姉妹」ができます。自分の結婚に限らず、兄弟姉妹の結婚によっても、自分に新しい兄弟姉妹、つまり「義理の兄弟姉妹」ができます。
また、親の再婚などにより、父親または母親のどちらか一方だけが共通である兄弟姉妹も「義理の兄弟姉妹」です。意味がわかりますか。親が離婚した後、別の相手と再婚し、子供が生まれると自分とその子供とは「義理の兄弟姉妹」の関係になります。
時代を反映しているのか、辞書を複数見てみると、先ほどの前者の「自分または兄弟姉妹の結婚によって関係が ❝ 生まれる ❞ 「義理の兄弟姉妹」」は、どれにも説明がありますが、後者の「親の再婚などにより、父親または母親のどちらか一方だけが相手と共通である「義理の兄弟姉妹」は、説明がない辞書もあります。
前者の「義理の兄弟姉妹」は、直接の血縁関係はありません。親族ですが血はつながっていません。一方、後者の「義理の兄弟姉妹」は、血がつながっています。時代を経るごとに、兄弟の数や結婚者数が減っている関係で、前者の「義理の兄弟姉妹」が減っていますが、離婚や再婚の数が増えている関係で、後者の「義理の兄弟姉妹」は増えてきています。
「義兄弟」または「義理の兄弟」 ― 2つ目の意味
意味の2つ目は、血縁関係でも親族関係でもない人間同士、いわば赤の他人同士が、兄弟分になる「義理の兄弟」です。
固い約束・誓いを交わして、兄弟のように交わる関係、兄弟のような関係になることです。これが今回のテーマになります。「血盟の兄弟」ということもありますし、「戦友」、「同志」などと言っても良いかもしれません。
「義兄弟」となる場合、ふつう、年齢によって、相手が年上なら「義兄(ぎけい、あに)」と呼び、相手が年下なら「義弟(ぎてい、おとうと)」と呼びます。お互いが共通して崇拝し「仕える」存在・対象があることが多いのが特徴です。例えば、共通の主君や師などの人物、国や郷土の英雄、組織の上の人物、国家や組織、天や神、仏などです。その他の特徴として、相手の主義・主張を互いに認め合う、「悲願」となる共通の目的、達成すべき目的を有する、相手のためなら互いに命も惜しまないことなどがあります。
「義兄弟」または「義理の兄弟」 ― 英語
英語には「義兄弟」を表す語として、blood brother(s)などがあります。日本語の「義理の兄弟」と全く同じで、2種類の意味を持ちます。1つ目の意味は、「血のつながった兄弟」。普通のbrotherとの違いは、この語が「血を分けた」というニュアンスを強く持つ点です。2つ目の意味は、「志を共にした血盟の兄弟、同志」。日本語と同じですね。
他にも、sworn brother(s)(「義理の兄弟」)、blood brotherhood(「血を分けた兄弟の間柄」)、blood oath(「血盟、宣誓、およびその儀式」)などの語があります。
なぜ、「(義)兄弟」や「(義)兄弟の契り」に関係する語句には、blood(血)という単語が多く使われるのか。実際には血がつながっていない他人同士なのに。
それは、英語圏で「義兄弟」や「戦友」の誓いを立てる時、「血を介した儀式」をよく行っていた為です。自分の指、手、腕のいずれかに傷を付け、互いの傷と傷同士を重ね、血を交換するなどのようなやり方です。「血を介した儀式」は英語圏に限らず、例えば日本の歴史上にも見られます。「血判書」、「血判状」、「誓紙血判」などと呼ばれるものです。本人たちの血を使って、自分の意思表示の為や決意表明の為、或いは裏切り防止の為など様々な目的でこれらが作られました。
オマケ
なお、少し古い感じのする日本語(古くから使われてきた日本語)で、男同士が、相手を親しんで呼ぶ「兄弟」という言葉(例:おい兄弟、最近調子はどうだい?)と今回のテーマの「(義)兄弟」とは言葉が異なります。
【定義】「(義)兄弟の契り(ちぎり)」とは
赤の他人同士が「義兄弟」(義理の兄弟)になる為に結ぶ(または交わす)、固い約束・誓いが「兄弟(または義兄弟)の契り(ちぎり)」です。
契り、つまり「契約」を通じ(=盟友関係を結び)、兄弟分になり(=法的拘束を受けない兄弟・家族関係を結ぶ)、感情、心、気持ちを通わせ、共通の目的・目標を持ったりします。
【中国語】「(義)兄弟」関連の中国語
中国にも「義兄弟になる」という言葉があります。「言葉がある」どころか、中国は歴史上「義兄弟」の本場、「義兄弟大国」とも言えるほど、「義兄弟」の習慣・文化が有名でありさかんでした。ここでは関連の中国語を紹介します。
◆ 中国語の「義兄弟になる」、「義兄弟の契りを結ぶ」
结拜 | jiébài |
结义 | jiéyì |
结盟 | jiéméng |
拜把子 | bài bǎzi |
拜把兄弟 | bài bǎxiōngdì |
金兰 | jīnlán |
结金兰之好 | jié jīnlán zhī hǎo |
など |
上記のうち、よく使われるのは、结拜【jiébài】、结义【jiéyì】、拜把子【bài bǎzi】と思います。
中でも最も重要なのは、このページのタイトルでもある结拜【jiébài】でしょう。
但し、それらは地域、話者の年代、民族、そして個々人の話し方の性格や特徴によって異なりますので(場合によっては状況が全く違う場合もあり)、ご了承ください。
◆ 「義兄弟」を表す中国語
義兄弟は「义兄弟(yìxiōngdì)」、「盟兄弟(méngxiōngdì)」、「谱兄弟(pǔxiōngdì)」、「把兄弟(bǎxiōngdì)」など。
「把兄弟(bǎxiōngdì)」など、古い言い方になっている、又は、なりつつある言葉もあります。
義兄は「把兄(bǎxiōng)」、義弟は「把弟(bǎdì)」。
Wǒmen jiébài yíxià ba
我们结拜一下吧!
私たち義兄弟になりましょう!
(ちょっと義兄弟の契りというのを結ぼう!)
【日中】 中国と日本の「(義)兄弟」比較文化論
ー日本のやくざ・極道映画の「(義)兄弟」とはー
日本では(義)兄弟の関係になると、自分の命を惜しまず、相手の為に捨て身の覚悟で命や身を投げ出し、兄弟分を守り、敵と戦うことが多いようです。ある種、自己犠牲的と言えるのが特徴です。敵と戦うと述べたのは、戦後日本のやくざの世界でこの「(義)兄弟」の関係が残っていると言われるからです。と言っても筆者である私自身、極道ものや任侠<にんきょう>もの、やくざものの映画やドラマを幾つか見て知っているだけですが。兄弟分を怪我させたり、死なせてしまうぐらいなら、自分が盾になり身代わりになり、相手をかばい守るのが日本の「(義)兄弟」の関係のようです。やくざには武士道や武士道精神が残っている、と言われます。現代では消えつつある「(義)兄弟」の文化がやくざの世界で残っているのは、ルーツが武士道にあるからなのかもしれません。
中国の「(義)兄弟」の関係も、自分の命を惜しまず、相手の為に命や身を投げ出しすのは同じですが、中国の場合、それ以上に大きな「約束事」が「(義)兄弟」の間に存在します。それは「運命を共にする」ことです。「死ぬときは一緒だ」という約束が中国の「(義)兄弟」の関係で最も重要な部分です。その為、大事なことは「(義)兄弟」の決めたことに自分も従う(合わせる)とか、運命を共にする方法を話し合って決めるとか、そういう話や流れが出てきます。この点、「相手が何と言おうが、どう思おうが関係ない。自分は死んでも相手を守る」と、時に「(義)兄弟」の言うことを無視したり、言うことを聞かず、独断で行動してしまう話や流れが出てくる日本の「(義)兄弟」と少し異なります。
もちろん、日本の「(義)兄弟」にも「死ぬときは一緒」、「運命を共にする」という考えもある訳ですし、反対に中国の「(義)兄弟」にも「自己犠牲」的な面は当然あるはずです。あくまでどちらの傾向が強いかというだけの話ですが、やはり日本と中国とでは少し違いがあるように感じます。
【現代・中国】今も「(義)兄弟」の習慣は中国にあるのか?
中国の「義兄弟」の関係は、歴史上有名であり、さかんだったと先程述べました。民族を問わず、漢民族や多くの少数民族に広まった交際習慣・文化であり、歴史上中国社会全体に根付いていたと言えます。台湾にもあります。
では、この習慣・文化は、今も残っているのでしょうか。
ここで、1つ記事を紹介します。
2022年2月、中国安徽省銅陵のとある屋内駐車場で同月7日に起きた車同士の衝突事故の映像が、中国国内でニュース、話題になりました(※下に関連の中国語記事と画像。動画はありません)。
事故を起こした2台の車が全く同じ車種、同じ色だったのですが、運転手2人が同じ生年月日だったのです。
つまり、同じ年齢、同じ生年月日の2人が事故を起こし、しかも2人とも全く同じ車に乗っていたのです。
動画では、取り調べを行う警察官が『俺、(免許の生年月日を)写し間違えてないよな?』と首をかしげ、3回同じことを尋ねるシーンが写るなど、何ともユニークな事故。
この時ネットで
「義兄弟とかになれ!」 (❝直接结拜的那一种❞ 【zhíjiē jiébài de nà yìzhǒng】)
という書き込みがされたり、別の記事では、
「本人たちは互いに連絡先を交換し、後日相手次第では
義兄弟になるだろう(なるつもりだ)(❝准备拜把子了❞【zhǔnbèi bài bǎzǐ le】)
と当人たちが口にした」ことが報じられました。
彼らも事故より、偶然の大きさに心を動かされたようです ^ ^
「義兄弟」という言葉が今も中国で使われていることがわかるニュースでした。
【事件の関連記事】(百度WEBサイトより)
※和訳は用意していません。申し訳ございません
安徽:俩男子同年同月同日生,开着同款车不慎相撞,交警一脸懵圈
前段时间,在安徽铜陵,一段普通的剐蹭事故却让交警自我怀疑的视频笑哭网友,视频显示,两名男子在一商场的地下停车场发生剐蹭,交警在接到报警时立刻赶到现场处理,没想到交警在抄写身份证的时候懵了,只见两名男子除了开着同一款车以外,他们的身份证上的出生年月日是一模一样的,交警一下子被搞得很不自信反复询问自己有没有抄错。
眼前的一幕着实让人哭笑不得,或许这个就是非常难得的缘分了,一个人出生年月日一样的话还碰到一起就挺难得,而且两个人还开着同一款车子,这样的经历也会让他们特别难忘。
对此网友们纷纷热议:(中略)
“建议互换联系方式,觉得对方性格和人品都还不错的话,能直接结拜的那一种,两个人真的挺有缘的”
在笔者看来,这样的缘分来的真有一点莫名其妙了,不过也是真的挺有缘得,要是名字或者姓氏在相同的话,可能他们都要怀疑一下是不是有什么问题了,果然我们生活中有着不少的巧合让人觉得匪夷所思的那种。大家对此怎么看呢?欢迎评论留言。
(原文まま) 引用元:
安徽:俩男子同年同月同日生,开着同款车不慎相撞,交警一脸懵圈 (baidu.com)
【現代・中国】「(義)兄弟の契り(ちぎり)」
現代の中国にも残る「(義)兄弟」や「(義)兄弟の契りを結ぶ」という文化・習慣ですが、その数は多いのでしょうか。「命を預け、運命を共にする」相手、一生のうち出会うかどうかわからないような相手ですから、全体の数はもともとそう多くないでしょう。それでも以前は文化・習慣として中国社会に根付いていました。以前と比べて現在はどうなのでしょうか。今も中国の至る所で「(義)兄弟」が誕生しているのでしょうか。
結論を言えば、以前に比べると現在その数はずっと減りました。今この時代、新たに「(義)兄弟の契り」を結ぶ人は、感覚的には、まずほとんどいない、という感じのようです。勿論、先ほど紹介したニュースの例のように、一部にはまだやる人もいます。年代にもよっても状況は違うでしょう。一般に、「(義)兄弟の契りを結ぶ」のは、若者、若い年代が中心ですが、現在中高年の中国人世代の中には、数十年前の若いころに「(義)兄弟の契り」を結んで今に至るという人もいるでしょう。数十年前なら、もしかしたら「(義)兄弟の契りを結ぶ」人が現在よりも多かったかもしれません。それらの状況を踏まえた上でですが、「(義)兄弟の契り」は、最近ではするような友人関係というのはとても稀なようです。
現代では中国でも社会の風潮が大きく変わり、友人関係・人間関係が希薄になりました。何事もみな損得感情で判断するようになり、社会全体の拝金主義が強まり、自分のその場の金や利益だけを考え、他者を顧みず、他人が困っていても見て見ぬふり、知らんぷりのような風潮が広がっています。中国人の多くが、人間関係が希薄になっている、と揃って口にするのはそのことに対する危機感や嘆きかもしれません(いずれは今のような感覚を持つ人すら社会から少なってしまうのかもしれません)。
それでも、中国はもともと友人を大切にし、友人に対して熱い民族柄、お国柄! その精神は、以前ほどではないにせよ、今も健在です。中国人同士、仲良くなった相手・友人に、❝ 我们结拜一下吧!❞(※説明下記↓)とタイミング良く言えば、相手は最初は驚くかもしれませんが、面白いと思って乗ってくれるかもしれません。日本人のあなたも中国人友人と熱く情熱的な友情を築くことができたら、中国式「(義)兄弟の契り」を結ぶことを相手に持ちかけても良いかもしれません。(あなたにその気があれば!)
Wǒmen jiébài yíxià ba
我们结拜一下吧!
私たち義兄弟になりましょう!
(ちょっと義兄弟の契りというのを結ぼう!)
先程も紹介したこの言い方は、中国語で言うところの ❝ 有仪式感 ❞(※)という感じで、普段の会話に比べて少し改まった言い方(=普段の会話では出てこない言い方)です。言うタイミングが合えば、言葉に深みが出て相手と仲を深められる言葉になるかもしれません。ただ昔ほど言葉に深みや重さがありません。昔は「義によって命を預け…」などと言いながら、当人同士の思いも熱く、深く、言葉にも重みがありましたが、今はもっと軽い感じでこの言い方は使われます(ただ先述の通り、「(義)兄弟の契り」自体が中国で稀になってきていますが)。
(※有仪式感 Yǒu yíshì gǎn : 儀式的、儀礼的)
【歴史・中国】伝統的な「(義)兄弟の契り(ちぎり)」の儀式
中国の「(義)兄弟の契り」はどのように行うのでしょうか。ここでは、昔から行われてきた伝統的な「儀式」の方法を紹介します(小説や時代劇、映画などで描かれる古代からのやり方です)。
ここで紹介する伝統的な「(義)兄弟の契り」は、少なくとも中華民国時代まで行われていました。さすがに現代では見かけたり話に聞くことはありませんが、広い中国、そして日本の10倍の人口の中国、ひょっとしたらまだどこかで「三国志演義」の熱狂的な信奉者、マニアやファンが、昔ながらのやり方をやっているかもしれません。
ここでは、中国最大のWEBポータルサイト ❝ 百度 ❞ が運営する ❝ 百度百科 ❞ で紹介されている内容をもとに解説します。ただこのサイト、基本的には他のサイトよりも良質ですが、誰が書いているかもわからず、内容の間違いもよく見かけます。今回も明らかにおかしい部分、疑わしい部分は外していますが、その点を踏まえてご覧ください。
また、参考程度にご覧いただきたい理由がもう1つあります。
それは、時代や場所、民族、その他様々な要因で、「(義)兄弟の契り」のやり方はそれぞれ異なる可能性があることです。一口に中国の習慣・文化と言っても、実際はパターンが様々です。
例えば、地域によって文化・習慣が違う例ですが、中国では先祖の供養の為に使われる「黄色い紙」があります。亡くなったご先祖が「あの世に持っていって使うお金」とされ、お金の絵がプリントされています。祝日の清明節や、墓参り、春節など神やご先祖を祀ったり、供養したりする際、日が暮れてから夜、燃やして使います。中国の広い地域にこの習慣がありますが、首都・北京にはありません。清明節の夜に紙を燃やして先祖を供養する習慣は北京にもありますが、必ずしも「黄色い紙」とは限りません。このように、他の地域では当たり前の習慣・文化が、場所が変わると全く違うものであるというのが中国の特徴です(「黄色い紙」は、下記の項目の中にもありますが、恐らく上述の「黄色い紙」に通じるもの、または同じものと考えられます)。
以下の説明は、必ずしも決まった固定のやり方ではありませんので、あくまで参考に、だいたいのイメージでご覧ください。
中国の伝統的な「(義)兄弟の契り」のやり方
- 前提として、本人たちが自主的、主体的に話し合い、同意の上で行うものであること。
誰かや何かに強制されて行ったり、望まずに行うものではない。 - 吉日(良い日取り)を選ぶ
- 皆がふさわしいと思う場所を選ぶ
(例:廟<びょう>、祖廟<そびょう>、祠堂<しどう>など 【※参考】右写真) - 以下の物を用意する
・ 供物 <くもつ>(捧げ物としての豚肉、魚、卵を、契りを交わす人数分)
・ いけにえ用に生きた鶏(にわとり)一羽
・ 神仏の像、関羽像など
(※ 関羽 : 三国時代の武将、後世に武神・商神として祀られる)
・ 器と酒
・ 線香
・ 「黄色い紙」
・ 爆竹
・ 「金蘭譜」(金兰普【jīnlánpǔ】)
「契りの儀式」の前に、予め長幼の順(年齢順)に名前を書き、
それぞれが「手印」を押しておく。
契りを交わす人数や、誓いの言葉、3代上までの家族(父母、祖父、曾祖父のみ)
の姓名、赤い紙を包みにして大小数回折りたたむ - 一人一人、線香と「金蘭譜」を手にする。
- いけにえの鶏を殺して血を採り、酒の入った器に入れる。
- 各自が左手中指を針で刺し、血を採って先ほどの器に入れる。
器に入った「血の酒」を均一によく混ぜる。 - 「血の酒」をまず地面に3滴落とし、その後長幼の順に一人一口ずつ飲む。
(残りは神仏の像や関羽の像の前に置く)
以上、❝ 百度百科 ❞ 「结义兄弟」より
現在の中国の「(義)兄弟の契り」のやり方
現代では、以前のような手間のかかる、時間や準備の要るやり方はしません。「いけにえ」など用意する人はまずいないでしょうし。やるとしても、一緒に食事して酒を飲み、熱い言葉や会話をして、それで「(義)兄弟の契り」を結んだとする程度でしょう。そもそも「(義)兄弟」になるということを言い出す人すら今は少ないのですから。
【歴史・中国】「(義)兄弟の契り(ちぎり)」の中国史 ー原点はやはり ❝三国志❞ー
中国は歴史上、「義兄弟」の本場、「義兄弟大国」とも言えるほど有名でさかんだったと書きました。中国文学・ドラマ・映画などでもそのようなシーンがよく出てきます。時代によりますが、皇族から平民に至るまで様々な層の身分で、 契りで兄弟・家族になる習慣・文化が歴史上受け継がれてきました。
「(義)兄弟の契り」の中で、最も有名でシンボル的存在と言えるのが、『三国志演義』(※1)の序盤で描かれる「桃園の誓い」(とうえんのちかい)のシーンでしょう。このページの冒頭の絵もそうです。次に有名なのは、『水滸伝』(すいこでん)の登場人物達でしょうか。108人の豪傑英雄たちが「(義)兄弟」の関係になりました。しかし、何といっても『三国志演義』であり、古来から多くの中国人がその物語を読み、影響を受け、憧れ、愛してきました。「(義)兄弟」になる習慣が盛んになり、後世の中国社会に広く多大な影響を与えました。現代でも愛読され続ける物語です(日本でもファンが多いですが)。
※1:または『三国演義』
※2:または「桃園の結義」、「桃園結義」(とうえん〈の〉けつぎ)、「桃園三結義」とも
下記の3人が、この「桃園の誓い」で誓約を結び、固い絆を持つ義兄弟となりました(もともと3人は他人同士)。
- 劉備(りゅうび) 長兄
- 関羽(かんう) 次兄
- 張飛(ちょうひ) 弟
『三国志演義』関連の多くの作品で彼らがこの時に述べた「自分たちは同年同月同日に生を受けることは叶わずとも、願わくば同年同月同日に死せん」という生死を共にする宣言(セリフ)が描かれ、有名になりました。
中国の「(義)兄弟」の大きな特徴の1つが、先述の通り(※3)、「運命を共にする」、「死ぬときは一緒だ」という精神である理由は、中国の「(義)兄弟」の原点が、この三国志演義・「桃園の誓い」にあるからと言えます。
(※3):本ページ『【日中】 中国と日本の「(義)兄弟」比較文化論』の章で解説済み
ただ実際の中国の正史(『三国志』等の現存する歴史書)には、彼らが「兄弟のような感情を持っていた」(※4)と書かれているだけで、3人が「契り」によって義兄弟になったことは直接の記録がありません(=史実では「義兄弟」ではない)。先ほどのセリフどころか「桃園の誓い」すら後世の創作とされています。しかし、3人が「義兄弟」になるという設定・逸話は、当時(漢代末期)、敵味方の関係がコロコロ変わり、裏切りや陰謀が繰り返されていた時代に、3人の間の強い絆や信頼関係を表していると考えられます。史実では、『劉備が2人に対して兄弟のような恩愛をかけ、関羽・張飛は常に劉備の左右に侍<たい>して護り<まもり>、蜀(蜀漢)建国に大いに功績があった』とされています。
※4:「恩若兄弟」『三国志・関羽伝』
中国で「(義)兄弟の契り」は、いつ頃始まったのでしょうか。
はっきりとは分かっていませんが、恐らく秦漢時代ではないか、と言われています。
記録では、漢代まで遡ることができます。秦朝以前(春秋戦国時代等)はあまり無かったと考えられており、秦代末期(紀元前)、連合して秦を滅ぼした項羽と劉邦が楚懐王の前で「(義)兄弟の契り」を結んだ記録があります。司馬遷の『史記』(前漢・武帝までの記録)、『後漢書』の中にも「(義)兄弟の契り」の記述が見られますが、ただ当初の「(義)兄弟」はまだ形式的なもので、 本格的な「(義)兄弟の契り」の習慣が広がったのは、後漢末期~三国時代と考えられています。『三国志』では、先ほどの劉備たち3人以外にも、「兄弟(義兄弟)」と関係を説明したり、相手を直接「兄弟(義兄弟)」と呼ぶ記述、「(義)兄弟の契り」を結んだと考えられる記述が幾つかあります。またこの頃には、上層階級だけでなく民間でも「(義)兄弟」の習慣が広がったとされています。
宋代や『水滸伝』が著わされた明代を経て「(義)兄弟」の関係は民間中心の習慣となっていき、また『水滸伝』に見られるように、反政府的な性質を帯びることが多くなっていきました。 清朝・康熙帝は「(義)兄弟」禁止の法令を出し、違反者を処罰しました。「(義)兄弟」の関係で集結した人々が国に害を及ぼすことを防ぐことが目的でしたが、 禁止・弾圧するほど、民衆の「(義)兄弟」の関係は、反政府的存在となり、後の秘密結社を生み、その構成員たちの人間関係の基礎となっていきました。
後世になるほど、「(義)兄弟」の関係は、ゲリラ的、反体制的な性質を帯びた人間関係となっていきました。
【中国・女性版】「(義)姉妹の契り(ちぎり)」はないのか?
ここまで「(義)兄弟の契り」を扱ってきましたが、「(義)姉妹の契り」はないのでしょうか。
あります。歴史上有名なのは、ほとんどが男性同士の契り、男性を軸にした「義」の 関係が中心ですが、女性同士も、「(義)兄弟の契り」と同じように、「義」のもとに約束・誓いを交わし、「(義)姉妹」、「姉妹分」となる契りを結ぶ場合がありました。
❝ 百度百科 ❞ の「结义兄弟」の解説によると、「(義)姉妹の契り」の場合、「(義)兄弟の契り」と少しやり方が違い、例えば、いけにえとする鶏は、「(義)兄弟の契り」の場合、雄鶏<おんどり>を使いますが、「(義)姉妹の契り」の場合、雌鶏<めんどり>を使います。また、「血の酒」をつくる為、手に針を刺して血を出す時、男性は左手ですが、女性は右手に針を刺して血を抜くということです。
成語 ❝ 指腹为婚 ❞【zhǐ fù wéi hūn】ととある中国昔話
話は変わりますが、中国には昔から指腹为婚【zhǐ fù wéi hūn】という言葉があります。この言葉の意味は、「子供が生まれる前に、親同士が子供たちの結婚を決めること(両家の子供は共に妊娠後出産前)」です。昔、親同士が両家の親密と繁栄を願って、生まれてくる子供の婚約を取り交わしたことを表す言葉です。
この言葉と似たような昔話があります。近所づきあいする仲の良い親同士が、生まれてくる両家の子供(両家の妻が妊娠中)が、2人とも男の子なら、2人を兄弟にさせよう(兄弟の間柄にさせようという意味)、2人とも女の子なら姉妹にさせよう、片方が男の子、片方が女の子なら大きくなった時に結婚させようと。
ここでいう「2人を兄弟にさせよう」、「姉妹にさせよう」というのが、義兄弟、義姉妹を指す訳ではないでしょうが、親同士が仲良く、その子供たち同士も仲良くなるなんて、日本の『タッチ』を少しほうふつとさせるようなほっこりとする話です。
【日本】「(義)兄弟の契り(ちぎり)」
近年制作された映画・作品で「義兄弟」というタイトルのものが、韓国と日本にあります。韓国の方は、北朝鮮の工作員の男と韓国の国家諜報員の男が国同士の対立や互いの立場を超えて友情を育み、心を通わせる物語です(2010年公開)。一方、日本の「義兄弟」は、任侠<にんきょう>・やくざものでこれまで3部製作されています(2021年発表)。
やくざの世界以外で、日本に「(義)兄弟」の文化は残っていないのでしょうか。辞書を引いてみました。
義兄弟 :
現代ではヤクザ、芸能界、スポーツ界のそれが比較的よく知られている。かつては一般民衆の間でも広く行われていた。
世界大百科事典
芸能界やスポーツ界にも残っていて比較的よく知られているとのこと。知りませんでした。
日本でもかつては一般民衆の間で広く行われていた、とあるので、その点は中国と同じようです。現在は特定の業界に残る形で存在しているようです。中国と違い、日本では、一般人はもうあまり「義兄弟になろう」とは言いませんから、この点は中国とは状況が違うようです。
やくざ、芸能界、スポーツ界、この3つの業界に残っている理由は何でしょうか。3つの業界の共通点は?3つの業界の「(義)兄弟」は、どれも同じ特徴・性質のものなのでしょうか。あまり詳しくないので、このテーマの話はここまでにしたいと思います。
尚、日本の古典では、『雨月物語』が「義兄弟」を描いた作品で有名です。また時代劇で以前、石田三成と直江兼続が「義兄弟」となり、盟約を誓ったことを描いた作品がありました。2人に親交があったことは有名ですが(後の上杉征伐に向かった徳川を挟撃する為の石田三成挙兵に実際につながる)、「義兄弟の契り」を2人が結んでいたという設定はさすがにその作品のオリジナル(創作)だったと思います。
現代版「(義)兄弟」?、現代人的感覚「(義)兄弟」?
最後に、先ほど紹介した2021年の任侠・やくざ作品「義兄弟 KYO-DAI」の中から、「義兄弟とは何か?」について、登場人物が語って説明しているシーンがあるので紹介します。
「現代版・日本の(義)兄弟」というか、「現代人感覚の(義)兄弟」というか、古典や時代劇とは少し違う感覚で解説されているので、面白いシーン(セリフ)です。今回のテーマの説明に都合が良いので、引用させていただきます。
中高生男子・ゆうだいが、家族同然に付き合ってきた自分の父親の義兄弟(父親も義兄弟も共にやくざ)と2人で話している時に、義兄弟がどういうものかわからず、素朴に質問をするシーンです。
(※木村一八がその義兄弟のやくざ役を演じています、右パッケージ写真、大きく写る2人の男性の右側)
中高生: 「(義兄弟の関係って)契約みたいなもの?」
やくざ: 「契約!?」 (なんじゃそりゃ?)
中高生: 「だって(もとは)他人同士なんだから、こういう時はこうしろよな、こういう時はこうしてやる、っていう
暗黙の了解みたいなものが(義兄弟関係であるからには)あるんじゃないの?」
やくざ: 「そんなんじゃねえよ!」
「(義兄弟の関係というのは)なんちゅうかな...恋愛みたいなものかな。」
「俺は、アイツの為に、こうしてやりてえ、ああしてやりてえって気持ち。」
「見返りなんて求めちゃいねえんだ。」
中高生: 「それって自己満じゃん?」
やくざ: 「そうだな。自己満足だ。相手の気持ちなんか関係ねえ。」
中高生: 「そんなんで、相手に裏切られたらどうするの?」
やくざ: 「そん時は惚れた自分が馬鹿だったってあきらめるかな。」
中高生: 「何それ? わけわかんねえ。」
やくざ: 「ゆうだい(中高生の名前)も恋愛すればわかるかもな。」
新鮮な感じもしますが、「(義)兄弟」についての説明やたとえがわかりやすいですね。やくざでなくても、「(義)兄弟」の関係について理解できるような気になります。
まとめ
・血のつながっていない(親族関係にもない)他人同士が「義兄弟」(義理の兄弟)、「義姉妹」(義理の姉妹)になる為に結ぶ(交わす)、固い約束・誓いが「兄弟(または義兄弟)の契り」、「姉妹(または義姉妹)の契り」
・「兄弟(または義兄弟)の契り」を表す最も重要な中国語は、结拜
・「兄弟(または義兄弟)の契り」は、現代の中国にも残っている。但し、それは伝統的なやり方と比べるとずっと簡素になっている。
・人間関係の希薄化により、現代の中国では、「兄弟(または義兄弟)の契り」を行う人は大きく減っている。
・中国の「兄弟(または義兄弟)の契り」の原点は、『三国志演義』の『桃園の誓い』。